紫微斗数

般若心経262文字の真理①

『般若心経』を翻訳した玄奘三蔵

六百巻からなる教典を二六二文字のエッセンスに翻訳
私たちが唱え、写経する『般若心経』は、中国唐代に玄奘三蔵がインドから持ち帰って、中国語(漢語)に翻訳したものである
奘は、孫悟空などが登場して、お坊さんの旅路を守る『西遊記』という物語の三蔵法師のモデルとなった人である 奘がインドを旅立つとき、インド人の僧から短い『般若心経』を与えられ、これを唱えて行けば災厄にあわず、病気にかからないといわれたという
これは敦煌から発掘された『唐梵翻対字音般若波羅蜜多心経』に記されたものであるが、玄奘がインドから多くの経典を中国に持ち帰ってくる以前に、すでに『般若心経』は翻訳されていて、その功徳が知られていたようである
玄奘は西暦六〇〇年代の人であるが、すでにその四〇〇年前に支謙が『摩訶般若波羅蜜多呪経』を、二〇〇年前には鳩摩羅什が『摩訶般若波羅蜜多大明呪経』を翻訳していた
玄奘はインドから持ち帰った梵語(サンスクリット語)で書かれた『般若心経』(正式には『大般若波羅蜜多心経』)を漢語に翻訳した。これは六百巻という膨大な経典である
現在、インドには梵語による『般若心経』の原典は残っておらず、梵語で書かれた写本がネパールや日本にあるだけである
日本では奈良の法隆寺に梵語の写本があり、現存するもので世界最古とされている
いずれせよ、玄奘が漢訳したものが、一番正確であるとされ、その中から、わずか二六二文字の『般若心経』がエッセンスとして詠まれ、写経されているのである
仏説としての『般若心経』
迷いの世界から悟りの世界に至る最高の智慧
『般若心経』は「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」といい、略して「心経」と呼ぶこともある。 経題の冒頭に「仏説」とあるが、これは仏さまが説かれた教えということで、悟りを開いて仏となったお釈迦さまをはじめ、多くの仏さまが説き示した真実の教えということである しかし、『般若心経』の内容は、仏さまの教えであると同時に、観音菩薩(観自在菩薩)が悟ったものを仏弟子の代表である舎利子(舎利弗)に教えるという形態をとっている。そのため「仏説」をつけないものもある
観音菩薩は、自ら修行することによって仏さまとなる存在であるから、観音菩薩が悟ったものを会得すれば、同じように仏となれるという構造である そのため『般若心経』は、舎利子に向かって説かれているという形をとりながら、やはり同じ仏弟子となる人々や、私たち衆生に向かって示されていることになるのである
次の「摩訶」は、とりとめもなく偉大なこと、大きく深遠なことという意味である摩訶に続く「般若波羅蜜多」は、簡単に説明すると、「般若」は最高の智慧ということである
また「波羅蜜多」は、迷いの世界から悟りの世界に到ることで、「彼岸に到る」とも、単に悟りの境地となる「彼岸」ともいわれるものである
この世から、悟りのあの世に到るために教え説かれたのが『般若心経』であり、最高の智慧をもたらして、私たちを悟りの彼岸に導いてくれるものである
「心経」の“心”は般若の核心
“心”は梵語ではフリダヤ - 神力の意味もある
「心」は梵語の原語では、フリダヤである。その意味は、心臓・核心・中心であることから、般若の核心となるお経ということである。同時にフリダヤは、神力・神呪・大明呪という意味ももつ。先述した鳩摩羅什訳では『摩訶般若波羅蜜多大明呪経』となっているのは、そのためである
玄奘は、フリダヤを「心」と訳したのであるが、それは漢字で意味するのはたらきの本体、つまり人間のこころを指すと同時に、原意の核心部という意味を重ねたものであろう
*以上の文章は新版面白いほどよくわかる般若心経 武田鏡村著 日本文芸社より*
観自在菩薩深般若波羅蜜多
観自在菩薩が深淵なる「般若波羅蜜多」(智恵の完成)の修行をしていた時
照見
五蘊
人間は五つの要素が集まって作られているが、それらの五つの要素はすべて「空」である(実体がない)ということをはっきり認識して
度一切苦厄
観自在菩薩はすべての苦から脱却し、また人々をすべての苦から救って下さった
舎利子(釈迦の十大弟子・智慧第一)
舎利子よ、よく聞きなさい
不異空
形あるものは「空」と別のものではない
空不異色
「空」であることと形あるものとは別のものではない
色即是空
形あるものは「空」である
空即是色
「空」が形あるものを作っている
受想行識
受(感覚作用)・想(表象作用)・行(表象から生み出される意志作用)・識(認識作用)で作られている心の働きというもの
亦復如是
また、形あるものと同様に、実体ではないのである
*以上の概訳は般若心経には何が書かれているのか/山名哲史訳『声に出して読む般若心経』(明日香出版社)より*

  
五蘊(世界を構成する五つの要素)
色         物質       身体
受         感覚
想         想念       概念
行         意志       欲求
識         認識       知識
「蘊」は包む、含むといった意。人間の体の中に含まれている五つの要素。そして仏教ではこの世をこの五蘊が構成すると考える。
「色」が肉体であるのに対し、残りの「受」「想」「行」「識」は精神の活動し、五つが結びついて初めて、人間は物を認識することができる。
*本文は一個人5 2007 No.84 P102より*

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