紫微斗数

◎観自在菩薩◎

観世音は旧訳、観自在は新訳であるが、前者は(世の)音を観る、後者は(世を)観ること自在、という梵語の訳語である。
サンスクリット語で、アーローリクは泥土の俗語であって、泥土より生じたもの、すなわち清浄蓮華を示す。
泥土に生じて、美しい色と清らかな香りの花を咲かせる蓮は、メソポタミア文明の影響を受けたという説もあるが、古くよりインド人に愛好された。古代聖典では、全宇宙を包む霊花であり、花弁に囲まれた子房は、創造神ブラフマン(梵天)の住処(金胎)とされる。聖典「ヴェーダー」の註論集である「チャーンドーギャ・ウバニシャッド」には、大白蓮華は、その子房の中の空間処に梵(ブラフマン神)と真我(アートマン)と不死(アムリタ)があると説く。
面如満月目如蓮は、仏容の讃美であるが、ヒンドゥー教でもシヴァ神を同じように表現している。紀元前三世紀にアショーカ王の建てた、ベナレスの初転法輪(最初の説法)の地の記念柱には、蓮華の上り花と反(かえ)り花がついており、この上下一対が日本の寺院の須弥壇の隅に立ててあるほか、在家用仏壇の中にも見える。すなわち仏徳讃美であり、仏浄土の結界であることを示す。
『妙法蓮華経』の原名は、正しく教えの大白蓮華であって、真理と諸菩薩に対する教誡を内容とし、正法の原理と方法を示す。その諸菩薩は、いずれも地下の汚泥に足を入れ、正法を流布する委任を受けている。しかも心は泥に不染着である。
『法華経』では、先の空間処を転じて、甘ったれた助平根性の不死願望や、なじんできた旧見の吾我や、己れの好みにふける価値の判断を取りのぞいた事を調熟という。ありのままに人生や自然をみる。己れをむなしくする「真空」という統一点から、諸菩薩のはたらきの「妙有」という分化が出る。
観世音菩薩普門品第二十五では、観音は衆生が御名を呼びかけるのに応じて、居士・長者・婦女・童子など三十三に相(すがた)を現わし、少しも滞りがない。
この真言は、蓮華部三昧耶真言・諸菩薩三昧耶真言・蓮華母心咒などと名付けられる。観自在菩薩の種子はサ(sa)である。諦不可得の頭字の梵語(satya サトヤ 諦 真実)から出た。
(本文は真言陀羅尼 坂内龍雄著 平河出版社 P77~79より)

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