紫微斗数

多羅観音

多羅仏母・多羅仏母、救度仏母救度母)とも言われる、衆生に対して慈愛の眼を持つ慈悲と利他行を行い「輪廻の苦重を救済する女神」である、彼岸への引導を務める菩薩でインドやチベットでは緑色や白色の像があり菩薩の中で男性の貴族・勇者のイメージを持ち有縁の本尊である観音菩薩と並び最も信仰を集めた女性の菩薩である。
観音菩薩の眼から派生したとされる女性の菩薩であるが、
観音の右目の涙からは白多羅が、左目の涙からは緑多羅が生まれたと言う伝承がある様だ。


典拠となる経典は「大方広曼殊室利経」(不空訳・大20・ 1101) 、「不空羂索神変真言経」などである、中世インドにはアーリア人の信仰するバラモンの男女差別とカースト制度に対するアンチテーゼの為か、七世紀頃からヒンズー教に於いて女性尊の信仰が拡大する、女人救済を目指して「変成男子(転女成男)」すなわち男性に性転換して成仏させる、と言う些か無理な救済をしていた大乗仏教から密教時代になり多羅菩薩を嚆矢として女尊の採用を始めた、釈尊は女性差別を行わなかったが、上座部に於いてバラモン等インド古来の女性蔑視の思想を踏襲した、因みに薬師如来の瑠璃光浄土には以上の理由もあり女性は存在しない。
ヒンズー教の著名な女性尊が多く尊い女性を明妃と呼ばれていた、仏教ではターラー
(多羅菩薩)が最も崇拝されたが日本に於いて胎蔵曼荼羅の蓮華部院(観音院)に描かれる以外は造像される事も信仰を得る事も無かった、因みに密教名すなわち密号は悲生金剛・行願金剛などとされる、多羅菩薩は観音菩薩の輝く瞳tārāターラー)からとか、慈悲の涙からとか生まれたとされる、同じく観音の眉の皺から生まれた毘倶胝(ブリクテー)と共に観音の脇侍を務める女性尊である、密教では特にこれ等の女尊を総称して明妃(みょうひ)と呼ぶ。 
インドで登場した時代は密教の中期以降で中国では唐時代末か宋の時代であり、空海の帰国後に当たる。
日本に於いて信仰された女性尊は孔雀明王
(マハーマユリー・
ahāmayūrividyārājñi准胝観音(チュンデイ・cundiの二尊が信仰された代表尊と言える。
                  


多羅菩薩は梵語名 Tārā(ターラー)の音訳を言い意訳に於いては眼精・星輝を意味する、観音菩薩の眼から発せられる光明から生まれ、観音化身とされ三尊形式では釈迦如来の脇侍を務める事がある、願望・気運などなど成就のご利益を有すると言う、脇侍の姿形は緑色で左手に華弁の先端が鋭い青蓮華を持ち右手で華を開きふくよかな胸を示す、観音菩薩の目から生まれただけにチベット等に多い白多羅菩薩は魅惑的な肢体白い肌をしていて両目のほかに、第三の目と両手のひら・両足の裏にも目を持ち七眼で慈悲を発する。 
通常は「二十一尊多羅礼賛経」があり多様な表情や色の相違を見せてサルベージする衆生の前に現れると言う。
特にチベット仏教に於いては別名「救度仏母」と言われ信仰の篤さは絶大の大菩薩女である、インド後期密教の総本山ヴィクラマシーラ寺の座主
(アテイーシャ)がチベットに赴き、多羅菩薩を重要視した為に多大な信仰を集めておりデプン僧院ゴマン学堂壁画などが著名である
多羅菩薩は大乗仏教の興りと時を同じくして生まれた女性尊で大唐西域記に於いて観音菩薩文殊菩薩弥勒菩薩と共に顕わされている。  女性尊崇拝に付いては釈尊が覚者と成る直前に誘惑したのは女性であった事から当初は否定されていたが、インドに於ける国民性に依るものか男女の抱擁、性行為などは秘事ではなくなり後期密教に継承される、多羅とは渡すと言う意味もあり彼岸への救度を行う信仰もある。
 

 
*参考文献・サイト*
古寺散策 らくがき庵www10.ocn.ne.jp/~mk123456/ta-ra-.htm

コメント