紫微斗数

龍樹菩薩

「龍樹」とは、サンスクリットの「ナーガールジュナ」の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。大乗仏教中観派の祖であり、日本では、八宗の祖師と称される。また真言宗では、真言八祖の1人であり、浄土真宗の七高僧の第一祖とされ「龍樹菩薩」、「龍樹大士」と尊称される。密教系の仏教では、「龍猛」(りゅうみょう)と呼ばれることもある。
当時、勃興していた大乗仏教運動を体系化したともいわれる。ことに大乗仏教の基盤となる『般若経』で強調された「空」を、無自性に基礎を置いた「空」であると論じて釈迦の縁起を説明し、後の大乗系仏教全般に決定的影響を与える。このことにより龍樹は「大乗八宗の祖」として仰がれている。
龍樹菩薩伝の伝説は以下の通りである。この伝説は学者によっては鳩摩羅什作とも主張されており、真偽のほどは定かではない(この他にも諸伝が存在する)。
天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。龍樹は才能豊かな三人の友人を持っていたが、ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い王宮にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により三人の友人は切り殺されてしまった。しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り、もし宮廷から逃走する事が出来たならば出家しようと決心した。
事実、逃走に成功した龍樹は山上の塔を訪ね受戒出家した。小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は、更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた。これを学んだ後、彼はインド中を遍歴し仏教、非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全でないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた。
しかしマハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ、龍樹を海底の龍宮に連れて行き大乗仏典(『華厳経』)を授けた。龍樹は 90 日においてこれを読破。深い意味を悟る。
龍樹は龍によって南インドへと返され、国王を教化するため自ら応募して将軍となり、瞬く間に軍隊を整備した。王は喜び一体お前は何者なのかと尋ねると自分は全知者であると龍樹は答え、それを証明させるため王は今神々は何をしているのかと尋ねたところ、龍樹は神通力を以って神々と悪魔(阿修羅)の戦闘の様子を王に見せた。これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した。
そのころ一人のバラモンがいて、王の反対を押し切り龍樹と討論を開始した。バラモンは術により宮廷に大池を化作し、千葉の蓮華の上に座り、岸にいる龍樹を畜生のようだと罵った。それに対し龍樹は六牙の白象を化作し池に入り、鼻でバラモンを地上に投げ出し彼を屈服させた。
またその時小乗の仏教者がいて常に龍樹を憎んでいた。龍樹は彼にお前は私が長生きするのはうれしくないだろうと尋ねると彼はその通りだと答えた。龍樹はその後静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出てこないため弟子が扉を破り部屋に入ると彼は既に息絶えていた。
龍樹の死後 100 年、南インドの人たちは廟を建て龍樹を仏陀と同じように崇めていたという。



*参考サイト*
龍樹菩薩ーWikipedia

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